突然なんだと思われるでしょうが、うには、14年前の3月11日、仙台中心部で仕事中に東日本大震災にあいました。
経験したことの無いあまりの揺れに、一瞬、死を意識した程です。
実はこのブログの名前「うにのアナログ生活」は、震災の経験がもとにもなっています。
今回は、当時を振り返って、震災に備える物、準備について説明します。
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普段からできる震災の備え

先ずは、ソーラーパネルです。
家族との安否確認や情報収集でスマホの充電が必要です。
震災当時は、街角に無料の充電コーナーが多く設置されました。
ソーラー式は天候に左右されますし、フル充電まで相当時間がかかりますが、短い時間でもスマホが使用できれば安心です。
このソーラーパネルは広げて使用するタイプで、折りたたんで持ち運びもできます。

ラジオも必需品です。
乾電池式で、野外の使用も想定して防水性能があるモノがいいです。
スマホでもラジオは聞けますが、震災時はネットが繋がらないので、このようなラジオは必要です。
行政からの情報提供、安否確認、交通情報、災害状況など、ラジオからの情報にかなり助けられました。
そして、音楽です。
当時、子どもたちを励ますために、アンパンマンのテーマやアニメの音楽がたくさん流れました。
精神的に厳しい状況を癒やしてくれました。
このラジオは普段からお風呂などで使用しているラジオです。
フックがあるので、置く場所に困りません。
ラジオの周波数の合わせ方、場所、時間帯による電波の状況は普段から慣れていた方がいいです。
一般的には窓際で、夜の方が受信状態は良好です。

もちろん懐中電灯は必要ですが、普段からこのような照明があると、災害時に利用できます。
イケアで買った乾電池式の照明を、適当な空き瓶に入れただけの物です。
普段はインテリアとして飾り、いざという時にはトイレや寝室の照明として使います。
暗い場所で、地震で散乱した物で転倒したり怪我をする場合があるので、複数個用意した方がいいです。
照明はセールで300円位でした。

次は移動手段です。
東日本大震災では、津波で多くの車が流されたうえ、深刻なガソリン不足、幹線道路の崩壊などで、車での移動が難しくなりました。
JRの復旧は1ヶ月以上かかりました。
そこで活躍するのが自転車です。
写真は、うにが実際に乗っているMIYATAのママチャリです。
車が無いので、普段から自転車を使っています。
JRが復旧するまでの約1ヶ月、自宅から会社までの45kmをこの自転車で通いました。
ポイントは、カゴがあること、タイヤがパンクに強いタイヤであること、ライトが前、横にあり自動で点灯することです。
カゴが無い自転車もありますが、災害時の買い出し、その他物資の移動にかごはあった方がいいと思います。
又、地震で道路に亀裂が入ったり、様々な物が散乱しているので、タイヤは丈夫な物に交換しました。
街灯が壊れたり、コンビニが閉店しているので、通常に比べ、夜は身の危険を感じる程かなり暗いので、自転車のライトは必要です。
震災直後、暗がりに紛れて、明らかに地元の人ではない人が、食料品を路上で販売していたり、放置されている車からガソリンを抜き取る人がいたり、空き巣が多発するなど、夜は怖かった記憶があります。
震災の様子


線路の奥の方が海で、津波で流された車が多いです。


東日本大震災は津波による沿岸部の被害が甚大でしたが、比較的海から離れた街でも被害が大きかったです。
写真のハードオフは海から車で約15分位の所にありましたが、津波で水没しました。
この付近は、車に乗ったまま津波で流され、亡くなった方が多かった場所です。
震災で学んだこと
最低、3日間位の食料品や非常持出袋などの準備は必要ですが、日常生活がある程度もとに戻るには、少なくても3ヶ月以上かかります。
個人で、その間の備蓄やライフラインの確保は無理だと思います。
そうなると、最終的には普段からの人と人の繋がりが大切になってきます。
隣同士、近所の人、親戚、昔からの友人、そのような人達と、お互いに助け合う事が必要になってきます。
うにも、県外の大学時代の友人から食料品などを送ってもらったり、親戚からお米を頂いたり、助けられました。
ちょっと挨拶をする、何気ない会話をする、地域の集まりに参加してみる、そんな感じでお互いに顔見知りになることが、災害時に大きな力になります。

おわり
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